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1973年と79年に起こった2つの石油危機と、87年のいわゆるブラックマンデーの株式恐慌、そして97年のITバブルの崩壊といった人為的に統御不可能な要因によって景気に変調が起こったからである。
そして、もう1つ特徴的なことは、2度にわたる石油危棟は、北米市場の車種構成をすっかり変えてしまったことだ。
つまり北米市場は、それまでのビッグスリーが得意としていた大型車中心から小型車中心へと移行し、とくに乗用車の場合、この傾向は著しい。
1989年、2009年北米市場で起こったもう1つの大きな構造変化は、1985年頃を境に、それまでの乗用車中心の自動車産業から商用車、とくにライトトラックというセグメントに大きくシフトしたことだ。
ピックアップ、ミニバン、そしてSUV(スポーツユーティリティビークル)といった車種が目に見えて増加し、やがて90年代に入る頃には、ライトトラックのシェアが乗用車を追い越している。
これはこの時期に、ガソリン価格が1ガロン20ドル台と安定し続けたことが背景にあり、燃費が乗用車に比べて悪いライ1「トラックでもよく売れた。
さらにもう1つの要因を挙げれば、それはビッグスリーが、日本車との競争を避けて、乗用車の生産から手を引いたからである(これにつ米国金融バブルに踊った自動車産業いては後に述べる)。
先ほども書いたように、1970年代には、2度にわたる石油危機でガソリン価格の高騰と品不足が生じ、これによって大型車中心から中、小型車への急速な移行が見られた。
とくに73年の第1次石油危機の時は、米国政府が石油消費税を安くしたりしたから、ガソリン価格高騰の影響は約2年足らずで済んだが、それでも、従来の大型車中心から中、小型車への需要シフトは、米国市場が初めて経験するものであった。
そして、この第1次石油危機の需要シフトに乗じてVWビートルがシェアを目覚ましく伸ばし、それまでまったくマイナーな存在でしかなかった日本車の輸出も目立つようになってきた。
日本車の輸出は、1960年代後半から始まり、最初はダットサントラックや日産ブルーバードが中心だった。
1970年代に入ると、トヨタのコロナ、そしてカローラ、1975年を過ぎる境にはホンダがシビックの輸出で頭角を現わしたが、とくに73年の第1次石油危機で、アメリカの消費者が初めてガソリンの値上りと不足を経験し、小型車の燃費のよさに注目するようになり、この需要の変化に後押しされて、日本の小型車は輸出を伸ばしたのである。
ただし、この第1次石油危機の時は、欧州諸国や日本では、原油価格がいっきょに約1倍に上昇した影響がもろに実体経済に影響したのに比べて、アメリカの場合、景気対策の狙いもあり、先述したように石油消費税を安くしたことによって、第1次石油危機からの脱出は比較的早かった。
その結果、いったん落ち込んだ大型車需要がまた盛り返し、1978年までに、ビッグスリーは再び大型車で大きな利益を上げるようになった。
ちなみに、草1台当たりの利益マージンでみると、VWや日本車が10%そこそこのマージン率なのに対して、アメリカの大型車は二十数パーセントと、倍以上のマージン率だった。
また、大型車ともなれば、1台当たりの販売価格は小型車、中型車の倍以上だから、例えばキャデラック1台の利益は、VWや日本車の約4倍にもなる計算であった。
こうして75年以降、大型車路線への回帰は、ビッグスリーに再び大きな利益をもたらすことになった。
とはいえ大型車路線への回帰は、VWや日本の小型車の駆逐にまでは至らず、小型車のシェアを低下させることにはならなかった。
というのも、日本やVWなどの小型車は台当たり利益が低いが、低価格と燃費のよさが評価され、当初こそ安かろう、悪かろうで品質は今一つであったのが、年々品質への信頼性も上昇してきたからである。
とくに日本車の場合、地域的にみると、西海岸とくにカリフォルニア州が早くよりシェアが高くなり、やがて州の全需要の6割以上となっていく素地が、この段階で作られ始めたといってよい。
もっとも、第1次石油危機の時は税制のやりくりでガソリンの高騰を抑えたアメリカだ米国金融バブルに踊った自動車産業が、第2次石油危機の時(1979〜81年)になると、同じ措置がとれなかった。
そして北米市場は、大型車中心の市場から小型車中心の市場へと、きわめてドラスチックに移行するが、そうなる前にもう1つの伏線的な出来事があった。
アメリカ連邦政府が1975年に成立させた、エネルギー節約法による乗用車の燃費規制が始まったことは見逃せない。
日米逆転を決定づけた「エネルギー節約法」エネルギー節約法が成立した背景はこうである。
すでに見たように、第1次石油危機の時、アメリカはガソリン価格を他の先進国ほど上げずに切り抜けたが、それはガソリンを借上げしてしまうと、大衆課税になってしまうからだった。
大衆課税ということは、これに賛成した国会議員は落選を覚悟しなければならないことになる。
こうしたアメリカの事情は、実は35年も昔の話ではない。
つい先日、NHKが、世界自動車不況について、ケーブルネットワークを使った国際フォーラムを開催した。
そこでは、自動車の環境対策と資源エネルギーの節約を進めるにはどうしたらよいかについて、アメリカ側の出席者2人の意見が真っ向から分かれた。
1人は、筆者とともに、30年近く前からMIT(マサチューセッツ工科大学)の国際自動車共同研究に参画してきた女性研究者スーザン・ヘルパー(ケースウエスタン大学)で、彼女は、「アメリカはガソリンが安すぎる。
もっと他の先進国並みに上げるべきで、そうすれば省燃費、省エネルギーの意識が高まる」と述べた。
それに対して、もう1人のアメリカ側出席者で、ヘリテージ財団(共和党系)の理事は「そんなことをすれば、その法案に賛成した議員は骨、落選してしまうから現実的でない」と反論した。
今でもこういう議論がまかり通るぐらいだから、大衆課税としてのガソリン税の一般庶民の家計に及ぼす影響の大きさは、日本でいう酒やタバコlの大衆課税の比ではない。
これはパーソナルカー志向が強まり、1人が1台草を所有し、日本の平均走行距離の数倍は走るアメリカ的生活様式のなせるわざかもしれない。
しかし、このような無理を重ねた大衆課税の回避は、政府の財政赤字の増大を招くと同時に、アラブ中近東からの石油輸入の年々の増大と相まって、途方もない財政赤字と国際収支の悪化をもたらした。
アメリカ政府としても、ついにこれを放置できなくなり、国をあげての燃料節約に取り組まざるをえない情勢となった。
そこで75年に制定されたのがエネルギー節約法である。
この法律は78年からスタートして、85年までに、乗用車1台当たりの燃費効率を78年のOMPG(1ガロン当たりの走行18マイル)から27・5MPG(1リッター当たり11・7キロ)に年々上げていくこと21米国金融バブルに踊った自動車産業を義務づけたものであった。
こうした法律ができたのは、当時のアメリカにおいて、最大の石油消費セクターが自動車(含トラック)だったからである。
全石油消費量の45%を占め、電力の11%、産業用のl8%をはるかに上回っていた。
さらに、全世界の8分の1弱をアメリカの自動車が消費していたからである。
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